ずっと混浴露天に憧れていた。爽やかな太陽のもと、男も女も生まれたままの姿になって温泉を楽しむなんて、まさにユートピアの世界ではないか。
しかし、こう言うと、単に女性の裸を見たいだけとか、女性にイチモツを見せつけたい露出狂と揶揄されるのが落ちである。強く否定できないのは、私の痛いところではあるが、決してふしだらな気持ちは抱いていない。混浴露天と言う世界に私は浸りたいのだ。
そんなことを、インターネットで仲良くなった弥生さんに話すと「だったらウチ来る?」と言ってきた。話によると弥生さんの地元には知る人ぞ知る混浴露天があるのだそうだ。これは朗報だ。一人で混浴露天は気が引けるが、気心の知れた異性が一緒だと心強い。ちなみに、弥生さんは私の前でも平気で子供に授乳するような人妻であり、間違いは間違っても起こらない女性だ。
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電車を乗り継いで3時間、そこから車で1時間、僕と弥生さんは山奥の秘湯に訪れた。ここが夢にまで見た混浴露天だ。「バスタオル着用だからね」と弥生さんに釘を刺される。公序良俗の世の中だからそれも仕方ないだろう。露出狂ではないのだからそれは構わない。
バスタオルを腰に巻いて露天に向かうと、何とそこには3人の女性がいた。いずれも妙齢だ。もちろんバスタオルは巻いている。私は年甲斐もなくドキドキしてぽっちゃりな弥生さんと湯に浸かった。ちらりと横目で見ると、女性たちは体を寄せあいながら楽しそうに語らいつつ空を見上げていた。ただ一人の男である私のことなんてまるで眼中にないようだ。横にいる弥生さんもバスタオル着用とはいえ堂々としている。何だか、自分だけがこの露天と言う空間で存在する意味がなく浮いているような気がした。いっそ、バスタオルを外して「ソーレ!」と露出してみようか、という考えがふとよぎった。
露出狂の人間もその他大勢の人間たちに囲まれて存在感の無い世間一般に、イチモツを披露することで自分の存在意義を見出しているのだろう。私はバスタオルの奥に隠された女の子たちの陰毛を想像しつつ露出狂の寂しい心境を思いやった。
クリ調教
クリ責め